東京家庭裁判所 昭和62年(家)1057号 審判 1987年4月27日
申立人 石丸敬子
相手方 フェルディナンドロペス
事件本人 アントニオロペス
主文
事件本人の親権者を申立人と定める。
理由
1 申立人及び事件本人の各審問の結果、並びに本件及び宇都宮家庭裁判所栃木支部昭和60年(家)第153号親権者指定事件の各記録によれば、以下の事実が認められる。
(1) 申立人(昭和26年1月31日生)は、飲食店で音楽活動をしていた相手方(西暦1950年1月14日生)と昭和46年ころ知り合い、共に香港に渡つて同棲した後、昭和48年11月10日同国において法律上の婚姻をなし、昭和49年1月5日嫡出子として事件本人をもうけた。しかし、相手方の不貞行為などが原因で不仲となり、申立人は不本意であつたが事件本人を残して昭和51年10月19日単身日本に帰国した。その後、相手方が事件本人の養育を持て余したため、申立人は昭和57年7月事件本人を日本に呼び寄せ、以来同人と同居して養育している。
一方相手方は、5年間の別居を理由として香港地方裁判所に離婚訴訟を提起し、昭和59年9月28日離婚の裁判が確定したので、申立人は昭和60年1月14日我が国の戸籍にその旨の届出をなした。上記判決は英米法系の香港法に基づいて行われているところ、同法においては裁判所が父母の離婚に際していつでも子の監護者を定める権限を有し、判決の際に必ず子の親権者(又は監護権者)の指定をなすこととされていないため事件本人についても親権者及び監護権者の指定はなされていない。
(2) 事件本人は、父母の離婚後申立人の招きで来日し、申立人のもとで養育され心身共に支障はなく、現在中学1年生である。
申立人は、昭和54年ころ大工業を営む石丸正夫と知り合い、昭和59年1月2日同人との間に長女恵美を儲けた後、昭和60年7月24日法律上婚姻し、現在では申立人を含めて一家4人が円満に同居しており、経済的にも安定している。
(3) 相手方は、別居後事件本人を養育していたが、同人を申立人が引き取つた後に刑事事件に関係して行方不明となり、申立人や事件本人へ連絡することはなく、現在香港に在住するのか否かも明らかでない。
2 そこでまず、本件につき裁判管轄権の有無を判断する。
上記認定事実によれば、本件は渉外事件であつて、申立人及び事件本人はいずれも日本に住所があり、一方相手方は現在事件本人の養育を放棄して所在不明であるから、このような事情のもとにある本件においては、国際私法生活上の正義公平の理念に照らして、申立人等の住所地国である我が国に国際裁判管轄を認めるのが相当である。
国内裁判管轄については、申立人及び事件本人の住所は栃木県であつて、家事審判規則70条、52条に基づき当裁判所が管轄権を有するものではない。しかしながら、申立人及びその代理人は、事件本人の福祉のために当裁判所における迅速な事件処理を強く希望しているところ、家事審判規則4条1項但書に基づき子の福祉のために特に必要があるものと認め、当裁判所で本件を審理することとする。
3 次に、親権者指定の準拠法について判断する。
渉外的離婚に伴う未成年の子の親権ないし監護権者の指定に関する準拠法については、これは離婚の効力に関する問題であるから法例16条が規定する離婚の準拠法により決定されるべきであるとする見解と、この問題は離婚を契機として生じる親子間の法律関係にすぎないから法例20条により決定されるべきであるとする見解がある。これを本件についてみるに、法例16条によるとすれば、離婚の原因の発生したときにおける夫の本国法(フイリツピン共和国法)か、あるいは申立人と相手方間の本件離婚に実際に適用された香港法か、そのいずれかが準拠法になるものと考えられる。しかしながら、上記認定事実によれば、本件は昭和59年9月28日に上記離婚の裁判が確定した後、2年半余り経過してから親権者の明確でない事件本人にその指定を求めるものであるから、これを離婚に付随する親権者の指定の問題とみることは相当でなく、本来的に親子間の法律関係の問題として、法例20条に基づき父の本国法(フイリツピン共和国法)を準拠法とするべきものと認められる。
ところで、フイリツピン共和国民法によれば、婚姻の無効、取消し及び法律上の別居が定められるのみで、法律上の離婚は認められていないから、当然のこととして夫婦の離婚後の嫡出子の親権の帰属の問題については法律を欠いており、結局、準拠法の欠缺の問題として、条理により、日本国民法(819条5項)を裁判規範として適用するのが相当であると思料される。
4 そうすると、上記認定事実のもとでは、未成年者である事件本人の親権者を申立人と指定することが、その福祉のために必要であると認められる。
よつて、主文のとおり審判する。
(家事審判官 清水節)